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2022全文更新版: https://bit.ly/3yrtrPQ

 

(原文連結: https://tinyurl.com/y6fcj8uv 

前情提要:成功縮短鼻子之後,一夜過去,發現鼻子沒有變長,內供感到非常悠然自得。

( 為了方便閱讀,會盡量以原文、譯文交錯的形式呈現。如果該段文字前沒有空格,即是該段文字在原文中與上一段屬於同一段,沒有分開。 )

 

 所が二三日たつ中に、内供は意外な事実を発見した。

  然而在接下來的兩三天裡,內供發現了驚人的事實。

 

それは折から、用事があって、池の尾の寺を訪れた侍が、前よりも一層可笑しそうな顔をして、話も碌せずに、じろじろ内供の鼻ばかり眺めていた事である。

當時正好有武士因要事造訪池尾寺,那武士也沒說什麼話,只是盯著內供的鼻子看,神情中的笑意卻比起以往更加強烈。

 

それのみならず、かつて、内供の鼻を粥の中へ落した事のある中童子なぞは、講堂の外で内供と行きちがった時に、始めは、下を向いて可笑しさをこらえていたが、とうとうこらえ兼ねたと見えて、一度にふっと吹き出してしまった。

事情不僅如此,有一回,過去曾經讓內供的鼻子陷入粥裡的那名中童子等人,在講堂外與內供擦身而過時,起初幾人雖低頭忍住笑意,最後卻貌似終於忍受不住,噗哧一聲笑了出來。

 

用を云いつかった下法師たちが、面と向っている間だけは、慎んで聞いていても、内供が後さえ向けば、すぐにくすくす笑い出したのは、一度や二度の事ではない。

而最低階的一眾下法師,在聽內供吩咐差事時,也僅在面對面時恭謹細聽,一旦內供轉身向後,便立即竊笑起來;這樣的事情,也不只發生一次兩次了。


 内供ははじめ、これを自分の顔がわりがしたせいだと解釈した。しかしどうもこの解釈だけでは十分に説明がつかないようである。――勿論、中童子や下法師が哂う原因は、そこにあるのにちがいない。けれども同じ哂うにしても、鼻の長かった昔とは、哂うのにどことなく容子がちがう。

  內供起初將此般現象解釋為自己的容貌改變造成的影響,然而他總覺得僅憑這個解釋,似乎無法充分說明原因;當然,中童子與下法師等人恥笑的原因肯定在此,但同樣是恥笑,與鼻子尚長的過去相比,又覺得他們恥笑的樣子有哪裡不一樣。

 

見慣れた長い鼻より、見慣れない短い鼻の方が滑稽に見えると云えば、それまでである。が、そこにはまだ何かあるらしい。

若要說不熟稔的短鼻子看起來比見慣的長鼻子來得滑稽,也就如此罷了,但這件事似乎還藏有一些玄機。


 ――前にはあのようにつけつけとは哂わなんだて。

  「以往他們不會笑得那麼露骨啊。」


 内供は、誦しかけた経文をやめて、禿げ頭を傾けながら、時こう呟く事があった。

  內供有時會停下念誦到一半的經文,一邊歪斜他光禿的頭顱,一邊如此呢喃。

 

愛すべき内供は、そう云う時になると、必ずぼんやり、傍にかけた普賢の画像を眺めながら、鼻の長かった四五日前の事を憶い出して、「今はむげにいやしくなりさがれる人の、さかえたる昔をしのぶがごとく」ふさぎこんでしまうのである。――内供には、遺憾ながらこの問に答を与える明が欠けていた。

可憐的內供在這種時候,必定會一邊心不在焉地凝視一旁懸掛的普賢菩薩畫像,一邊回憶四、五天前,鼻子仍未縮短的時光,想著「現在的我,就宛如徹底淪為貧民的人在懷念過去的繁華歲月一樣」,陷入憂鬱思緒之中——非常遺憾地,內供並不具有給予這個問題解答的智慧。
 

 ――人間の心には互に矛盾した二つの感情がある。

  「人的內心含有兩種互相矛盾的情感。

 

勿論、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。所がその人がその不幸を、どうにかして切りぬける事が出来ると、今度はこっちで何となく物足りないような心もちがする。

當然,沒有人不對他人的不幸感到同情;然而,一旦那人費盡手段,成功從那不幸中解脫,又會讓人心裡總覺得少了些什麼。

 

少し誇張して云えば、もう一度その人を、同じ不幸に陥れて見たいような気にさえなる。

若用誇張一點的說法來說,甚至會感覺想讓那人再次陷入同樣的不幸當中看看。

 

そうしていつの間にか、消極的ではあるが、ある敵意をその人に対して抱くような事になる。――内供が、理由を知らないながらも、何となく不快に思ったのは、池の尾の僧俗の態度に、この傍観者の利己主義をそれとなく感づいたからにほかならない。

如此一來在不知不覺間,即使是消極的,也對那人產生了某種敵意。」內供即使不知緣由,卻總感到不悅的原因不是別的,正是因為他在池尾的僧侶與其餘居民表露的態度中,莫名地感受到了這旁觀者利己主義的緣故。


 そこで内供は日毎に機嫌が悪くなった。二言目には、誰でも意地悪く叱りつける。

  因此內供看起來每天心情越來越差,不論是誰與他說話,他都會凶惡地斥責對方。

 

しまいには鼻の療治をしたあの弟子の僧でさえ、「内供は法慳貪の罪を受けられるぞ」と陰口をきくほどになった。

最後就連協助內供治療鼻子的那名弟子,都氣憤得在背地裡說他的壞話:「內供會受慳貪之罪的。」

 

(待續)

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